秋季例大祭
九月十五日
最も重要なお祭りで、巫女舞の奉納、
神楽殿において竹間澤里神楽が奉納されます。
年間の祭典において最も重要なお祭りです。毎年9月15日に行われます。
祭典後、竹間澤神楽の巫女舞と御神楽が奉納されます。竹間澤神楽とは川越藩の神楽師として活躍していた前田筑前の社中に伝わった神楽です。
式三番で幕をあけ、夜遅くまで芸術性の高い壮麗なお神楽が奉納されます。
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祭典 | 11:00 |
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巫女舞の奉納 | 15:00 |
御神楽の奉納 | 16:00~20:00頃 |
演目 | 住吉三神~寿式三番叟~
八幡山 熊襲征伐 |
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秋季例大祭神楽
住吉三神~寿式三番叟~
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、妻 伊邪那美命(いざなみのみこと)を迎えに黄泉の国に行きました。しかし変わり果てた、妻の姿を見て逃げ帰ってきました。黄泉の国から帰って、阿波岐原(あわぎはら)の水で身を清めているときに現れた神様が、最初に登場する住吉三神の神です。
水の上から現れた神様が上筒男命(うわつつおのみこと)、中ほどから現れた神様が中筒男命(なかつつおのみこと)、水の下から現れた神様が底筒男命(そこつつおのみこと)です。随神が先導し舞台に登場し、それぞれの神様の舞が始まります。随神が弓の舞を行い、上筒男の神が指扇の舞や折り紙の舞で舞台を清める舞を行います。次に中筒男の神が大きな幣束で奉幣の舞を行い、底筒男の神が二本の扇子を大波小波に見立てて四方を舞い清めます。
そして底筒男の命は、式三番叟を呼び出し、ここで目出度く舞をするよう指示します。式三番叟は、五人囃子を呼び出し、笛・太鼓などの鳴り物に合わせ、目出度く舞を行います。
八幡山
神楽の世界では、第十五代應神天皇(おうじんてんのう)を取り巻く物語を、演出するものに二種の演目が有ります。一つは父君の仲哀天皇の皇后神功皇后(じんぐうこうごう)がお腹に、應神天皇を身ごもられながら、勇敢にも新羅の討伐をなされるという筋書きのもの。もう一つは、熱湯に手を差し入れ、罪の判定を行うもの。正しい者は熱湯に手を差し入れても、火傷をしないという場面を演じるもので、『湯気焼』(ゆぎしょう)と題されている。
『八幡山』はさきに述べた神楽となります。皇后様が神楽での約束事で決まっている、指扇舞で登場します。続いてお供が弓を持って登場し、皇后様に弓を渡します。お供は皇后様の言いつけで武内宿禰(たけうちのすくね)を呼び出します。皇后様は「私がここで引弓の舞をします。」舞が終わり皇后さまは、武内宿禰に「私と舞をしてください。」と言います。お二人は目出度く舞納め、武内宿禰に「私は、これから悪者退治に行きます、貴方の力を貸して下さい」武内宿禰は「かしこまりました。それならただちに出掛けましょう」 皇后様が先に行き続いて、武内宿禰が征伐に出掛けます。後に残ったお供は、里神楽独特の人羽の曲に合わせて、賑やかに踊り八幡山の里神楽が終わります。
皇后様が先に行き掛けますが、急に膝まづき、お腹に手を当てて苦しみます。武内宿禰は皇后様を見てそばに寄り、小石を拾い皇后様のお腹にあてます。皇后様は気を取り直して、立上がり征伐に向かい……退場して行きます。皇后様はお腹に御子を身ごもっていたのです。武内宿禰は後を追って退場致します。お供は心配そうにお二人を見送りながら、安心とみるや一躍りして退場します。
熊襲征伐
景行天皇の皇子、小碓命(おうすのみこと)は、たびたび反乱を起こす熊襲建(くまそたける)を征伐するようにと父上から命じられ、屋敷に行くと、ちょうど熊襲建の新しい館の完成で宴が開かれているところでした。
小碓命は女装をし、宴に紛れて熊襲建に近づきました。お酌をし、舞を舞い、熊襲建が酔い、寝静まったところで、命令のとおり、平定させるため争いになり見事に打ち負かします。
小碓命があまりにも強いので、演目の中で≪神楽歌≫が詠まれます。
熊襲建「暫く 暫く その御剣動かしたもうな 西の国において我より強き御身 今し何神にて候」
小碓命「我は景行天皇の皇子 大和小碓と申すなり 熊襲建 悪役無礼なるによって 刺し殺せよとの命なりなるぞ」
熊襲建「今よりのちは 日本武尊と御名を捧げ奉らん」
ヤマトタケルの誕生となったとされるお神楽です。
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