所澤神明社とは
願い叶(守り札)
所澤神明社は所沢市の産土(うぶすな)の神であり、「所澤総鎮守」でもあります。主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。 境内には摂社も多数あり、 樹木が生い茂り、ことに御神木の樫は数々の伝説を秘めた老木です。 また、西大門の参道には二丈余りの老けやきが立ち並び、古社ならではの神威を一層深めております。
所澤神明社のいま
所澤神明社は、所沢の街の中心地、所沢銀座通りに沿った歴史ある町並みを見守っています。境内は、御神木の樫をはじめとして青々とした樹木がしげり、四季の花に彩られ、小鳥の鳴き交わす声も聞こえてきます。街の喧騒から離れ、一息いれながらお参りしていかれる人の姿もみかけます。
所澤神明社 外観 それは、当神社が町の生命力の象徴でもあるからです。
万物は、凍てつく冬を耐えて、春のわずかな兆しのなかに生命をふくみ、正月を迎えます。再生した命は、やがて春を謳歌し、夏の繁栄を経て、秋に豊かな稔りをもたらします。当神社は、所沢の人々とともに歩みつつ、この摂理を体現しているのです。
自然と時代の息吹をしっかりと感じ取り、新たな生きる力を、またみなさまにお授けする場なのです。
縁起〜所澤神明社の由来〜
日本武尊(やまとたけるのみこと)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)に祈られたことに由来します。
日本武尊が東夷征伐にあたり、当神社の付近である小手指原にさしかかり、ここで休憩したと伝えられます。所澤神明社は、そのおり、日本武尊が天照大御神に祈られたことに因んで、土地の民が天照大御神を祀ったものといわれます。
所澤神明社は、所沢周辺に数多く残る日本武尊に関する伝説の中心的な存在でもあるわけです。
当神社は、文政九年(1826) に、火災に遭い社殿および別当寺であった真言宗花向院が焼失いたしました。それ以前の二度の火災とも併せて、このとき古記録と宝器のほとんどが失われたために、残念ながら正確な創立年は不詳となってしまいました。
初詣の様子 しかし、現在も境内に残る老けやきは周囲一丈二尺、大樫は一丈三尺、喬杉は一丈二尺というように、何本もの大樹が堂々とそびえており、当神社がはるかな古よりつづく神社であることをしめしています。
文政の火災で総鎮守である神明社を失った氏子たちの愁いは大きく、直ちに再建にとりかかりました。当時の名工、中手妙王太郎の後見のもとに、社殿が造営されたと伝えられています。
明治二年に寺社を分離して花向院は廃寺、神明社が独立し、明治三十五年には現在の社殿が建立されました。また、昭和九年に、県下随一の大きさを誇る総檜づくりの雄大な拝殿が完成。また末社も相殿として新築し、昭和九年に竣工したものです。
所澤神明社の自然
所澤の巨木 所澤神明社は、所沢の街中にありながら自然に恵まれた環境にあります。さながら、都会のオアシスです。特に、境内のけやきは壮観です。樹齢、何百年という木々が神明社に根付き、市内で見られる一番の巨木としても有名です。ご参拝の際には是非一度、ご覧になってください。